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1-15 痴れ者、動揺する

Author: 柚月なぎ
last update Last Updated: 2025-03-24 15:42:37

「お前、なんで先に起きたのに俺を起こさない! ········っと、白笶公子!? 」

 部屋から大声でやってきたかと思えば、予想もしていなかった人物の姿を見つけ、背筋を伸ばし慌てて腕を囲って揖し、下げた頭で隠した顔からは一気に血の気が引いていた。

 白笶も同じくこちらに向けて挨拶を交わす。表情からは何も読めないが、万が一いつもの調子で無明が痴れ者を演じていたとしたら、確実に失礼なこと以外していないだろう。

 ずかずかと大股でこちらにやってきた竜虎の様子から、彼がかなり慌てているのが解る。それを解ったうえで、あえて普段以上に大袈裟な素振りで、無明はぶんぶんと手を振った。

「そんなに慌ててどうしたの? なにか面白いことでもあった?」

「どの口がっ······まさかお前、なにかしてないだろうな?」

 最初の突っ込みこそ勢いがあった竜虎だったが、そばに寄って来た無明の肩を組み、愛想笑いを浮かべて白笶に素早く背を向けると、顔を近づけてこそこそと小声で訊ねてきた。

 返答の代わりにへへっと楽しそうに笑った後、くるりと器用にその腕を抜けて、ふたりの間に立った無明が、竜虎に向けて任せろ、と言わんばかりに片目をぱちりと瞑って合図をした。

(おい、ちょっと待て。なにかしろ、という意味じゃないぞ!)

 咄嗟に手を伸ばして制止しようとしたが、それは見事にかわされてしまう。

 案の定、弾みながら白笶の方へ駆け寄ると、彼が後ろに回していた左の腕に自分の腕を絡めていた。

「命の恩人さんに、お礼をしなきゃね! なにがいい? 公子様っ」

 ぐいぐいと引かれても微動だにしない公子に、気にせずに笑いかけて、犬のようにまとわりつく。馬鹿なことはやめろ、と竜虎が引きはがそうと逆に無明を引っ張る。

 このやりとりにさえ公子は怒りも呆れもせず、ただ一点を見つめて、ひと呼吸し、ぽつりと呟いた。

「········では、一緒に碧水へ」

 その言葉にふたりは同時に動きを止め、え?と瞬きをした。どういう意味だろう、と。そのままの意味だとしたら、唐突すぎる。

「え、ええっと、遊びに来てってこと、かな? すごく嬉しいけど、でも俺は、宗主の許可がないと紅鏡から離れられないんだ」

 まさかの返答に思考が停止して固まっていたが、調子を取り戻して、無明は答える。

 けして遊びに来てという意味ではないだろうが、解らないふりをして訊ね、もっともな理由を挙げてやんわりと断りを入れる。

 竜虎はいまだに固まったままだ。

「······可能なら、都を案内して欲しい」

 表情が変わらないので冗談なのか本気なのか解らない。ただ、譲歩はしてくれたようなので、無明は人知れず安堵する。

「いいよ! 公子様はここにはいつまでいるの?」

「······明後日には発つ」

「わかった。じゃあ明日、迎えに来るねっ」

 こくり、とゆっくり頷き、白笶はこちらを見下ろしてくる。視線がまったく外れないので、逆に無明もまっすぐに見つめ返してみた。灰色がかった青い瞳は、波紋のない水面のように感情が読めない。

(不思議なひとだな····俺にあんなこと言うなんて)

 ああいう行動をとれば、変なやつと思われるか、嫌がられるのが普通だが、この青年はまったく気にした様子もなく、真面目に考えて答えてくれた。

「本当に、ありがとう。来てくれたのが、公子様でよかった。じゃあ、そろそろ俺たちは戻るね」

 竜虎の肩に手を置いて、ぽんぽんと叩く。

「ほら、ぼけっとしてないで、早く璃琳を連れて来てよ」

「わ、わかってるっ」

 部屋の方へ駆けて行った竜虎を見送り、もう一度白笶に視線を向ける。

 そうしている間に、いつの間にか顔を出した朝陽の眩しさに、瞼を細める。長い夜が明け、いつもの朝が来る。

 すぐに璃琳を背負って出てきた竜虎が姿を現したので、彼の真意は解らないままだった。

✿〜読み方参照〜✿

竜虎《りゅうこ》、璃琳《りりん》、白笶《びゃくや》、

紅鏡《こうきょう》、碧水《へきすい》、痴《し》れ者、揖《ゆう》し、

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    ■〜第二章 邂逅〜■ 翌日。 竜虎は姜燈に何度も、それは耳に胼胝ができるほどしつこく念を押された。「いい? なにかあったら必ず知らせを飛ばすこと。無謀なことはしないこと」「無明が馬鹿なことをしないように眼を光らせること、でしょ。何度も聞いたから大丈夫だよ、母上」 そもそも普段の無明は姜燈が思っている何倍もまともだ。さすがに他の一族の前でいつもの"あれ"をすることはないだろう。白群の公子とはいつの間にか仲良くなっていたし、今更痴れ者になる必要もない。「兄様、気を付けてね、」 璃琳は心配そうに眉を寄せて、竜虎の両手を取って別れを惜しむ。確かに寂しくないわけではないが、今は好奇心の方が勝っていた。「璃琳も元気で。無明のことは心配無用だ」 最後の方は耳打ちするように小声で伝える。べ、別に! 心配なんてしていないわっ! と璃琳はあからさまに動揺して声を荒げた。 無明も今頃、同じように藍歌と別れを惜しんでいることだろう。「竜虎これを持って行って? 怪我をしたら使うといい。傷に良く効くはずだよ」 あの一件で少しやつれたように見える虎珀だが、いつものように微笑んで貝殻でできた薬入れと薬草を詰め込んだ袋を手渡す。 ありがとう、と竜虎は頷く。大変な時なのに自分のために用意してくれたのだと思うと嬉しかった。それに比べて血が繋がっている方の兄の姿はない。自分のことなど眼中にないのだろう。「戻ってきたら、虎珀兄上の力になるから期待して待ってて」 母に聞かれないように小声で伝えると、虎珀は首を振った。「こちらのことは気にしなくていい。君は君のために頑張って」 竜虎は虎珀らしいと思いながらも、心の中で最初の誓いを叶えられるように精進しようと決める。「白群の方々を待たせても悪い。竜虎、私からは、昨夜の内に十分言葉は送ったから必要ないだろう。しっかり学んで来なさい」「はい、父上。では、行ってきます」 前で腕を囲って丁寧に揖し、深く頭を下げる。顔を上げ、地面に置いていた荷物を持ち、そのまま見送りに来てくれた者たちに背を向けると、無明の邸の方へと歩を進める。 若い青年の従者が、その後ろをそそくさとついて歩く。飛虎たちが見えなくなった頃に、その従者が恐る恐る竜虎に声をかけてきた。「······あ、あのぅ、竜虎様?」「どうした? なにか忘れ物か?」「い、いえ!

  • 彩雲華胥   1-30 新たな始まり

     ――――その夜。 宗主に本邸に呼ばれた無明は、自分の耳を疑った。聞こえていないと思ったのか、飛虎はもう一度同じことを繰り返す。「紅鏡を離れ、この国をその目で見て感じてくるといい」「··········はい?」 目が点になっている無明を現実に戻すように、飛虎は話を続ける。「藍歌とも話した。お前は、この小さな囲いの中で納まる器ではない。外の世界を見て、たくさんの人に出会い、修練を積んだ方がいいと。そして戻って来た時に、ひと回りもふた回りも成長した姿を見せて欲しいと」「けど、竜虎にも聞いたでしょ? 晦冥のこと。あの陣のこともさっき話したばかりで、」 あの陣がただの陣ではなく、烏哭の宗主が生み出したものかもしれないということを。「それは我々が解決する問題であって、お前が案ずることではない」「それに! 夜の妖者退治も、都の人たちの厄介ごとも、俺がいなくなったら······っ」 竜虎がひとりで引き継ぐことになる。そうしたらなにかあっても守れない。「それは金虎の術士たちに任せる。私から命ずることで動かざるを得なくなるだろう。彼らにも多くの経験が必要だ。お前たちがやって来たことは手放しで褒めてはやれないが、良くやってくれた。同じ志で行動できる術士たちを増やすきっかけにもなるだろう」 ここに残るための理由をほとんど潰されて、無明は押し黙る。藍歌がすでに宗主の考えを汲んでいるため、藍歌を理由にもできないのだ。「それに竜虎にはすでに話してある。今頃準備をしているだろう」「え? どういう意味です?」「表向きは竜虎のお供として、各地方の一族に挨拶がてら修練をつけてもらうという話にしている。朝から各宗主の元に出向いて話は付けてきた」 そこで無明は気付く。あの時、白漣宗主が言っていた言葉の意味を。 しかもあの様子からして、白笶も知らされてなかったのだろう。今頃どんな顔をしているかものすごく気になる。「出立は明日。白群の宗主たちと一緒に碧水へ。その後のことはお前たちに任せる」 もうどうにでもなれと、無明は解りましたと答え、そのままその場に跪いた。深く頭を下げて儀式的な別れの挨拶を行う。「父上、母上を頼みます」「こちらの事は案ずるな。道中は危険だ。どんな時もふたりで協力して、しっかり学んできなさい」 顔を上げた無明の頭を撫で、それから小さな子どもにするよ

  • 彩雲華胥   1-29 出会い、そして別れ

     食事処を出て、そのまま白群の一族が借りている邸へ向かう。奉納祭で助けてもらった礼をどうしても宗主に直接伝えたかったのだ。 夕方近くにやっと帰ってきた白笶を、ふたりの若い従者らしき者が礼儀正しく迎えた。隣にいる自分にも同じく挨拶をしてくれたので、慌てて無明も返す。ふたりは腕に抱えられた土産物を白笶から受け取って奥へと持っていった。 白笶は無明を連れて宗主がいる部屋へと向かう。部屋の前で声をかけて中に入る許可を得る。ふたりは腕で囲いを作り頭を下げて挨拶をすると、奥に座る宗主の顔を窺った。「伯父上、戻りました」 白笶は宗主の弟の子であったが、赤子の頃に両親を失ったため、宗主が自分の養子にしたのだった。しかし白笶は自分の立場を理解した上で、宗主を伯父上と呼ぶ。「奉納祭のお礼を直接お伝えしたくて、公子様に頼んで連れて来てもらいました。あの時は助けてくださり、本当にありがとうございました」「いや、礼には及びません。むしろ、こちらの方が礼を言いたいほどです。玄武の宝玉は浄化され光を取り戻しました。なにより、今まで見たどんな舞よりも実に見事な舞でした」 六十代くらいの宗主は目じりの笑い皺が特徴的で、威厳があるがとても優しい眼差しをしており、瞳の色は白笶よりもずっと深い青色をしていた。「今日は白笶が世話になったようで、」「俺の方こそ助けてもらってばかりなのに、なにもお返しできてなくて。今日もそのお礼のはずだったのに、良く考えたら自分が一番楽しんでいたような気も····、」 あはは····と苦笑し、無明は頬をかく。「とんでもない。友のひとりもいない子で、誰かと出かけるなど今まで考えられない事でしたので。よほどあなたが気に入ったのでしょう」「それは俺も似たようなものです」 正直、友と呼べる者はいない。竜虎や璃琳は友というより家族で、かけがえのない存在ではあるが。「先ほどまで飛虎宗主がいらっしゃったのですが、行き違いになったようですね」「父上が?」 そうえいば、昨日の夜に白群の邸に礼をしに行くと言っていた気がする。「歴代の金虎の宗主の中でも、あの方は立派な宗主です。我々は大したことはしていないのに、わざわざ宗主自ら礼に来るなんて、」「あの時宗主や公子様が発言してくださらなかったら、奉納祭は成功していなかったと思います」 謙遜する宗主にふるふると首を

  • 彩雲華胥   1-28 ふたりの時間

     多くの人で賑わう都の盛り場は、様々な店が立ち並ぶ。 昼を知らせる鐘が鳴り、ふたりは丁度目の前にあった食事処へ入った。無明や白笶の衣を見た店主は、他の客たちがいる一階ではなく、二階のさらに奥の部屋に通す。 任せると言われたので適当に料理を頼むと、少しして頼んだ料理が運び込まれ、丁寧に低い机の上に並べられた。「紅鏡の料理はどれも美味しいんだけど、碧水の料理とはやっぱり違う?」 大皿にのった料理を少しずつ皿にのせて、白笶の前に差し出す。「どうしてあの時、晦冥にいたの?」 今更だが、なぜ昨夜、あんな場所に偶然居合わせたのか。それがどうしても気になっていた。あんな場所、普通なら頼まれても訪れたいと思う者はいないだろう。「毎年、この時期に訪れている」 寄せられた料理を口にしながら、表情を変えずに白笶は淡々と答える。どうして訪れているのか、と訊きたかったが止める。「そっか。でもそのおかげで俺も竜虎も命拾いしたってことだね。公子様は、あの六角形の赤い陣、見たことはある?」「あれは、······かつてあの地を支配していた、烏哭の宗主が作り出した陣のひとつに似ていた」 箸を置き、真っすぐにこちらを見つめてくる。無明はその灰色がかった青い瞳に、吸い込まれそうになる。 紅鏡の者は紫苑色の瞳の者が多いが、碧水の者は瞳が青いらしい。生まれた地で色が違うため、どこから来たかはその瞳の色で解る。ちなみに翡翠の色は光架の民の特徴らしい。「けど、ずっと昔に伏魔殿に封じられてるひとの陣が、どうしてあんな場所に?」「烏哭の一族は一族といっても血の繋がりはなく、邪神を崇拝する術士たちもひと括りにされていたという。彼らが陣を模していても不思議ではない」 すっと伸びた背筋は凛としていて、抑えていても低く響くその声は説得力がある。「どうしてそんなことまで知ってるの? 古い書物にも載っていないのに、」 陣のこともそうだが、まるで見てきたように語るので、不思議でならなかった。数百年前の記述は、その当時の神子が自分の魂を犠牲にして、伏魔殿にすべての邪を封じたと書いてある。 しかし烏哭の一族に関する記述は、ほとんどなにも残っていない。妖者や鬼を操りこの国を手に入れようとしたが、神子によって封じられた、という事実のみ。「······碧水にある蔵書閣で、当時のことを記した記述を読んだ

  • 彩雲華胥   1-27 予兆

     邸に戻ると、飛虎がすでに藍歌の傍にいた。邪魔をするのもあれなので、無明は戻った報告だけして、昨夜の晦冥での出来事はまた後日話すことにした。 ふと薄青の衣が目に入って、あの時の事を思い出す。明後日には紅鏡を離れて碧水に戻ると言っていた。明日は都を案内すると約束した。その時に衣を返すことにしようとひとり頷く。 衣裳を脱ぎいつもの黒い衣に着替える。髪の毛は面倒なのでそのままにしておく。書物や竹簡の山で埋め尽くされた文机を少しだけ片付けて、その空いた場所に伏せた。 頬にかかる髪や落ちてきた赤い紐はそのまま、近くにある書物をパラパラと適当に捲る。「碧水、か。どんな所なんだろ。湖水の都か······綺麗なんだろうな······紅鏡も賑やかで好きだけど、叶うならいつか····他の地にも行ってみたいな」『一緒に、碧水へ、』 あの時の白笶の声が頭に響く。今なら、それもいいと答えてしまいそうな気がする。初めて会ったはずなのに、なんだかわからないが懐かしさを覚えた。いや、覚えていないだけで、もしかしたらどこかで会ったことがあるのかも?(うーん。あんな綺麗な顔のひと、一度でも会っていたら忘れないよね?) 明日また会って話をしたらなにか聞けるだろうか。ああ、その前に宗主に許可を貰わないと····と思ったところで、意識が途切れる。毒はほとんど抜けていたが、色々ありすぎて疲れていたこともあり、無明は机に伏したまま眠ってしまう。 少しして様子を見に来た飛虎が、部屋に静かに入ってきた。そして器用な格好で眠っている無明を抱き上ると、寝台へ運んだ。 正直、今日の無明の奉納舞や立ち振る舞いには驚いた。今まで素顔を覆っていた仮面は無くなり、隠していたモノが皆の前で晒されてしまった。その高い霊力も、能力も、行動力も。 鳥籠から放たれた小鳥が大空に飛び立ってしまうように、無明もいつか、自分たちの前から去っていくのだろうか。「無明、お前は何を望む? 今まで通りの平穏や不変か。それとも大きな変化か」 ここに留めておくのは狭すぎるだろうか。藍歌も言っていた。このままこの小さな邸の中で終わらせていいのかどうか、と。 まだ幼さの残るその寝顔を見下ろし、頬にかかる髪の毛をそっと払う。なにかを決意するように、飛虎は邸を後にした。**** 翌朝。藍歌に頼んで、宗主に外出の許可を貰った。その時

  • 彩雲華胥   1-26 幕引き

     宗主は感情は抑えていたが、低い声音で無明を止める。そして自らは立ち上がり、後ろに立つ周芳の衣を掴んだ。「そ、宗主まで、あの痴れ者の言うことを真に受けるのですかっ」「痴れ者だと? あれは私の子だ。無明だけでなく、お前は藍歌をも侮辱した。すべてが明るみになった時、その身がどうなるか思い知るといいだろう」「叔父上、宗主の言う通りです。なぜこんなことをしたんですか? なんのために、こんな······」 虎珀はいつもの落ち着いた声音とは違う、信じられないという震えた声で、叔父である周芳を見上げていた。「この女がっ! 姜燈夫人がすべて悪いのです! 公子の役目を奪い、あたかもすべてが自分の手柄だとでもいうような振る舞いをするからっ! だから······っ」「だから、藍歌に毒を盛ったと?」 衣を掴んでいた手に力が入り、首が締まる。「それは、いったい誰のために?」「 あなたのために決まっているでしょう!」「私はそんなことを頼んだことなど一度もありません。その企みでこの奉納祭が失敗に終わったら、叔父上はそれを夫人のせいにして、嘲笑うつもりだったのですか? それで私が本当に喜ぶとでも?」 虎珀は淡々と言葉を紡いでいく。身内であるが故に、赦せなかったのだろう。そこに情状酌量の意はない。「父上、どうかこの者とそれに関わった者たちすべてを罰してください」 揖して、改めて虎珀は宗主に頭を下げた。宗主は周芳の衣を掴んだまま、従者を呼んだ。「この者を連れて行け」 宗主が従者の方へ乱暴に放ると、観念したかのように言葉を失った周芳が、力なく項垂れながら連れて行かれた。「無明、藍歌は無事なのだろうな? お前も毒を自分で試したと言っていたが、平気なのか?」「はい、白群の公子様に助けていただきました」 どういう経緯で、とは詳しく聞かなかったが、あとで礼をしに行くことにしよう、と宗主は言った。「後のことはこちらですべて片付ける。皆も思うことはあるだろうが、今回はこれで解散とする」 その言葉を以って宗主は早々に部屋を出て行ってしまった。それに対して誰かが何かを言うことはなく、残された者も次々に部屋を出て行く。無明もまた、それに紛れてさっさと部屋から去るのだった。「母上、絶対に周芳を赦してはいけません。母上を陥れようとするなんて、なんて奴。それにああは言っていたが、お前

  • 彩雲華胥   1-25 毒紅の真実

    「叔父上、どうされたのですか?」「は、早くそれを拭って!」 必死の形相で止めたのは虎珀の亡き母、蘇陽夫人の弟である周芳であった。「ふーん······あなたは父上や夫人、他の者たちが紅を付けても止めなかったくせに、虎珀兄上の時は止めるんだね」「どういう意味だ? この紅はなんなんだ?」 塗ってから急に不穏なことを言われて、虎宇は青ざめる。「別に何の変哲もないただの紅だよ。これは、ね」「痴れ者が、諮ったなっ!」 その表情や声には憎しみと恨みと、事が明るみに出てしまったことへの落胆が入り混じっていた。「こうも簡単に引っかかるなんて、こっちがむしろ驚いてるよ。本物かどうかなんて、正直な話、五分五分だったでしょ?」「こんな茶番に何の意味があるというの?」 夫人はいい加減呆れて、肩を竦める。「母上はこの紅が原因で、倒れたんだよ」 懐から本物の毒入りの紅の入った小物入れを取り出して、夫人の前に差し出した。その場にいた全員が真っ青になり、慌てて自分の唇と指に付いた紅を一斉に拭う。「倒れただって? いったいどういう紅なんだ ?」「あ、さっきも言ったけど、みんなに塗ってもらったのは普通の紅だから、大丈夫だよ?」 黙れ!と忌々し気に虎宇が今日一の怒鳴り声を上げた。その場の皆が同じ気持ちだったのか、こちらを見る目がどこか鋭い。「だって先に言っちゃったら、意味ないでしょ?」「お前、いい加減に····っ」「それが毒かどうかなど、誰が解るというんだっ! お前が適当に言っているだけだろう? そもそも私がそれを用意したという証拠はどこにもない」 虎宇の台詞を遮るように、ものすごい剣幕で周芳が怒鳴りだした。「自分で試したから実証済みだよ。あの毒紅はひとによって時間差はあるけど、まあまあ即効性があるよね。そして放っておけば重症になりかねない、とても危険なものだった」「だから、それで私が用意したという証拠にはならない」 虎珀の手首を解放し、周芳はふんと自身の潔白を訴える。まあ、確かに直接その手で用意したという証拠にはならないし、そのあたりはすでに対処済みなのだろう。「そもそもお前は自分で実証したというが、どう見ても毒に侵された様には見えないが? お前の方こそ嘘を付いているのでは? 紅に毒が盛られていたと嘘を付き、藍歌殿が舞を舞えなかった不始末を誤魔化そうとし

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